プノンペン(3日目①)
とある場所に行くため
日本人が経営するレンタルバイクショップを紹介してもらった
復路便はこの日の23:00頃発
朝、ホテルのフロントに荷物を預け
徒歩でレンタルバイクショップへ
$10 / 24時間というコースで借りた
バイクにまたがりGoogleマップに行先を入力
プノンペンから30~40分離れた場所にある
キリングフィールド
というところに向かった
途中、マップが思うように表示されず
行き過ぎたり、違う方向に行ったりと
困難を極めながら何とか目的地に近づいた
3日間、ハレ
中心部から少し離れるとこのような景色となる
キリングフィールド到着
バイクを停め
いよいよこの旅のメインスポットへ
入場料 US$3
音声ガイダンス機器レンタル US$3
合計$6
安い
ヘッドホンからこの場所に関する情報が流れている
慰霊塔
そう遠くない昔
この場所で多くの人が虐殺された
1976年のポル・ポト政権誕生から
1979年までの期間に
カンボジア国内800万人のうち
200~300万人が虐殺されたと言われている(諸説あり)
40数年前、10代の若者が任務を遂行
崇高そうな人は皆殺された
眼鏡をかけている、という理由で虐殺された
出典: https://camp-fire.jp/projects/222602/activities/117051
このようになっている
40数年前の
1974年~1979年の出生率は大きく低下したということだ
思い返してみると、年老いた方を見た記憶がない
どちらかと言うと、若者や子どもたちであふれかえっていた
日本はどうかというと
ハッキリ言って終わってる
この先、平均寿命は延伸し続け
40年後は100歳の方がたくさんいらっしゃる
当然、日本の人口ピラミッドの40年後は
逆三角形になるだろう
多くの高齢者を少ない労働人口でカバーする
地獄絵図
政府が予想した出生率の予測
出典: https://rootport.hateblo.jp/entry/2016/01/18/233000
デタラメさがすごい
長くこの国を牽引してきたジミントーの本質が見える
目の前の経済対策も大切だろう
しかし、この先に生まれてくる子どもたちへの愛情ももっと大切
効果的な少子化対策はあるのだろうか
国民も目を覚まさなければいけない
なぜならば
2060年には人口が9,000万人を割り込む予想
総務省|平成29年版 情報通信白書|期待される労働市場の底上げ
人口が減少し国際競争力が低下する
過疎化が進み、人は都市部に集中する
上記の予測もデタラメであってほしいが
こういうのはピッタリ合わせてくる
プノンペン(3日目②へ)
プノンペン(2日目②)
マーケットを出た後、
「ひろしまハウス https://hiroshimahouse.com/ 」というところへ
「こんにちは~」と大きな声で挨拶してくれたことが強く印象に残っている
時間割
寺院の一角に教室がある
MASAKI 君からはいろんな話を聞かせてもらった
家庭訪問時の衝撃(スラム街、倉庫の一角が家など)
教育格差、負のスパイラル
ひろしまハウスの実情
などなど
ここは給食室
給食のあとは歯磨きタイム
みんなサッカー好き
スパイクは日本から送られてきたもの
大事にしているそうだ
ホールのような場所
ひろしまハウスにお別れ
子どもたちの純粋な笑顔はこの旅一番の思い出だ
ひろしまハウスを出たあと
とある場所に向かった
その途中
またも電線地獄
あとのこと考えたほうが良いぞー
穏やかな街、穏やかな人柄
お昼ご飯
なんだこれ、でも美味しい
目撃した最大乗車人数
原付に家族5人 ^^
基本的に
フル装備
原付
前から
子、父、子、母
計4名 乗車
トゥクトゥクで向かった先は
またもイオンモール
ココは郊外に出来た新しいイオンモール
やはりガラガラでした
とあるサッカーチームの練習場へ
少し滞在し、またトゥクトゥクに乗車
ホテルに戻る
日が暮れてきた
夜は街へ
夕食は道路に面したテラス席のあるお店で
注文した料理を待っていると
テーブルの横に4~5歳くらいの男の子が来て何も言わず立っている
しばらくするといなくなる
またしばらくするとテーブル横に立っている
緑色の短パンを履いた男の子
現地の人から「対応するな」と言われ続けたため何度も来たが何も渡さなかった
頼んだ料理が運ばれてきた
豚肉のなんちゃら
美味しいぞ、プノンペン
食事後
夜の街を歩いていると
4~10歳頃の女の子が私の服を引っ張って
お花を買ってくださいと言う
ずっとついてくる
自分の子どもと重なり苦しい気持ちになる
そして、それから2~3時間後の帰り道
何度もテーブルに来ていた緑色の短パンを履いた男の子...
ごめんなさい
歩きながら、そして泣きながら写真を撮らせてもらった
お金を渡しても何も解決しない
一時的なものだから、と現地の人
それでも...
無力さを痛感する
お母さんと弟
2人のために頑張っていたんだね
歩道のど真ん中
みんな裸足
今見ても涙が出る
日常の外側へ思い切って一歩を踏み出してみる
敷かれたレールから外れてみる
平凡、平坦、平常、平均
いったいなんだろう
景色の相違
価値観の相違
考えがまとまらないうちに2日目を終えた
プノンペン(3日目)へ →
プノンペン(2日目①)
プノンペン2日目
5時起床、ランニングへ
ホテルから朝の景色
建設ラッシュ
急速な近代化がうかがえる
朝食バイキング
星5つ★★★★★
おー、高得点!!
何度もおかわりし
たくさんご馳走になった
おいしゅうございました
どこでも暮らしていけそうです
さて、朝食後はお散歩
The 晴れ男、本日も晴天なり
寺院ですか
金色に輝いていますねぇ
大学ですか
クメール語は読めそうにない
移動に便利なのかスクーターが多い
ホテル近くのイオンモールへ
ゲーセン
人は少ない
日本のイオンモールを想像したが混雑していない印象
日本のショッピングモールの混雑ぶりが異常なのだろう
えい、どりあーん!!(年代によっては理解できない可能性あり)
果物の王様です
またもトゥクトゥクに乗って移動
想像以上に快適なんです
トゥクトゥクにはお世話になりっぱなしだ
バイクの兄ちゃん、通話しながら運転
電線の束 スゴっ
かわいいトゥクトゥク
珍しくふたりともヘルメット着用
おりこうさん
数年前、125cc以下のバイクの免許が廃止されたようだ
のちのち重要となる豆知識
セントラルマーケットの中へ
まずは乾いた喉を潤す
さとうきびジューーーーーース
お値段は...
2,000リエル
計算しますと...
50円くらい
専用の袋に入れてくれる
外は暑い
電線すごい
「私、お肉には興味ないの」
果物、野菜コーナー
魚介類コーナー
揚げ物コーナー
葉っぱじゃないよ
カエルだよ
思った以上に美味しい
また食べてしまった
巨大マーケット
セントラル市場
成田空港で借りたグローバルWi-Fiをフル活用
Google mapで無敵となる
プノンペン(2日目②)へ
プノンペン(1日目)
いつのことだか思い出してみよう
とある電話で
「いつになったら来ますか?」と聞かれたため
「やかましわ、ほな明後日着くように行くわ」と口が滑った
プノンペンひとり旅は急きょ決定した
成田からANAの直行便を利用し
プノンペン国際空港へ
往路7時間、復路5時間50分
機内食それぞれ2回
味は...
星20満点のうち
★★★★★★★★★★★★☆☆☆☆☆☆☆☆
星12 !!
= 星3つ
プノンペン国際空港 到着~
ビザ $30
時差2時間
綺麗な空港だ
空港からホテルまでは送迎車
安心安全を優先し、日系のホテルにした
3,000円/泊と安価だ
車窓からは車とバイクと
部屋からは濁った川と中国系資本のビル群が見える
特に、建設中のビルのほとんどが中国系だった
その勢いは誰も止められないのだろう
荷物を置いたら外出
トゥクトゥクに乗車
行先は適当に告げる
おっちゃーん、ありがとー
一気に半分飲んでしまったビール
カンボジア通貨500リエルには
通称「日本橋」と呼ばれる橋と右下に日の丸が描かれている
この橋は日本の業者と日本政府が協力し
カンボジア自国予算で日本が技術提案
1963年に架けられたものである
親日の国?だろうか
さて、夜になると
綺麗な街並みへと変化する
食事はオシャレな感じのお店へ
オシャレはいいけど店内の蒸し暑さをなんとかせんかーい
イカと胡椒のなんちゃら
カンボジアは胡椒の産地です
カリッとしたカエルさん
美味だ
その後、街を散策
路地の屋台
かえるさん、へびさん、とかげさん など豊富な品揃え
$3は安い
がしかし、そもそもマッサージが嫌いなのである
トゥクトゥクでホテルに戻り就寝...